いきなり最終回 〜今までありがとうございました〜

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前に進もうと思う。
私には〝やるべく〟ことがある。

私はもう走り出したいのだ。

「もう止まってたくない!!」と、
魂がもうずっと長いことそう言っているのだ。

 

 

だから、私は、

今日ここで、

今、このブログとお別れしようと思う。

笑顔で^^

 

 

 

 

 

久しくブログも更新してなかったのに「急に何だ!?」と思われる人もいるだろう...

そもそも今、読者とかいんのか?とも思うけど、
わかんないけど、でも始めなきゃいけないと思ったからまた始めてみる。

そう思ったことの経緯を私はこれから話したいと思う。

良かったら聞いてってほしい。

 

 

 

私は実に迷っていた。
この数年、ずっと。
振り返ってみるとあっという間ではあるけど、当の本人は「そんなモンでは片付かない」と言いたい笑

いや、むしろ「そんな一言で終わらせないでくれ」と言えるほど、
〝何もしない〟ということは、
道なき道をどう進んだらいいかなんてことは、
思っている程は、容易に、すぐには、わかるものではないのだ...ということだ。

 

 

 

 

私はずっと、自分がどうしたら良いかわからなかった。

正確には、自分がどうしたいのかがわからなかった。

ホステスを辞めるー♪と、漠然と「もうやりたくない事はやらない」と決め、
そしてそれに割と忠実に生きてみるー♪

 

 

 

...ワケなのだが、

 

最初はもちろん減る一方のお金に戸惑いや不安を覚えるばかりで、ブログがどうだとかよりももはやそっちとの戦い。
(ちなみにじゃぁ今収入があるかと聞かれたら何も変わっていないと言うし、変わらず減る一方の不思議な生活をしているが、何故かかろうじて生きている...)

しかし、

道中、道はもっと険しくなり、

見てる人ももしかしたら傷付いてしまうであろう内容も書きたくなり、
実際にあった事を書きたい自分と、書いてはいけないんじゃないかという間で迷う。

苦しむ事を覚えた。

そして書けなくなる。

 

なんとか当初、ブログを初めた自分が掲げた100日連続で記事を書く(掲載する)という目標は達成出来たものの、
(それも今となっては本当によくやったと思えるし、言える。)

けど何より、何の成果も出てないし、実績もない。

=「ならダメじゃん」

って自分が自分にずっと言ってた。

でももうとっくにブログで稼げてる自分なんて描けなかった。

何より楽しくない。

書きたい事を書けないのだから。

書きたい事を書いたら誰かを傷つけるかも知れない。

書きたい事を書いたらBANされるかも知れない。

書きたい事を書くという事は広告会社とかそういう関連の審査が通らない。
(というか非常に通りにくく厳しく、そんじょそこらの私なんぞが通るのは到底無理な話だった気がする)

という事は〝書けない〟。

だって、それって、要は書きたくない事を書けば売れるとか、そういう事の裏返しでもあるし、でも正直私はそんなのに興味はない。

もちろん売れはしたいけど書きたい事を書いて売れたいし、
誰かの見本や、誰かの正解を習って真似するのもつまんない。

仮に諸先輩方に生意気だと言われても仕方ない。

だってそう思うのだから。

 

だから、そう思った日からは私は何も出来なくなった。

 

やりたい事は出来ないのに、むしろあれしろ、こうしろいう輩。

〝成功者〟と世では呼ばれる人は言う。

成功してる人の真似をすればいいとか、上手くいってる人の真似をしたらいいとか...

ある程度はわかる。

それは私もそうだと思う。

 

でも、それが私の望んだ人生か?

 

私は何度も自問自答した。

MAX貯金がもう30万を切ろうとしてる時ですら答えは出なかった。

月15万円という家賃であるこの家の支払いと、そこにある程度の生活費がかさむというのに尋常じゃない精神の持ち主だなと今になって自分に思う。

もちろん当時は気が気でないわけだけど。。。

私はよくやった。

だから素直に諦められる。

私はうまくいかなかったんだ。
うまく出来なかったんだ。

だけど、「それで良かった」と、今本当に思う。

道中は不安で、寂しくて、孤独で、
本当に何で生きてんのか、
何の為に生まれてきたのか、

何で生きてんのかわからなかった。
(何の為に生まれてきたのかは今もまだよくわからないけどね、まぁでもそんなのはぼんやりで良いと思う♪ぼんやりで♪笑)

 

せっかくの想いで?思い切ってホステスを辞めたのに、
少なからずホステスの方がどう考えても安定はした収入。
(まぁ安定と言うのも少し語弊はあるが...)

なのに、収入はままならないまま失う一方。

したい事は出来ず八方塞がり。
やりたくない事はやりたくないと決めたのに、結局、人生こんなもんかって何度も嘆いた。

でもそれがようやく正解だったんだと思えた今この瞬間。

私はすんなりこのブログを辞めようと思う。

 

当然だが、、、

何度も悩んだよ笑、うん、本当に...

ぶっちゃけるなら、前回の更新の時点で既に悩んでいた。

書きもしないこのブログを一体いつまで存続させるのだろう...って。

一応、年間でサーバーとは契約してるんでサーバー代とかドメイン代とかでも、微々たるモンでも無駄な経費やら出費やらは払いたくないじゃない?

本人としては、「辞めちゃってもいいんだけどな〜」とは思っていた。

でも唯一その思いを止めるのは、
誰かに向けて書いた記事の存在だった。

それは紛れもなくその人のことを想って書いたりもしたから、
それが1度でも読んでもらえればその人の元へ想いは届いてるとは思う。

だけど、それって何て言うか、、、
自分の魂の一部だから、
だからいくら〝人の為〟とは言っても、

誠心誠意、愛情いっぱい込めて書いた作品だったから、やっぱり簡単に消す事が出来なかった。

ちなみに、今はこんな風に割と淡々と?容易く言語化出来ているが、当然、当時の私と言えば、ここまではちゃんとした言語化はされておらず...ただ何か〝想い〟のようなものをぼんやり抱えていたと思う。

それに辞めたところでというのはずっとあった。

辞めたところで「何がしたいんだろう、私は...」いつも堂々巡りだった。

 

 

 

明日は新月だ^^
(2022/10/25(火)は蠍座新月です^^)

私にとって新月は、新たな物事を始めるに相応しい日

だから、

いや、でも?

今日、このブログを辞めるということは、まるで前から決まっていたようにすんなりと受け入れられた。

本当、決まっていたかのようだった。

それに加えて、ちょっとした時間差で、新しい物事や、アイデアが浮かんできた。

宇宙の法則ですね。

捨てたら入ってくる。

まだ手の中にある内は入ってこないんです。

長かったけど、そう決まったら早かった。

どの道、私はもうとっくに走りたがっていた。
魂はずっとそれを待っていた。

望んでいた。

だからいずれは辞めていたと思う。

だけど私は、どこに向かって行ったら良いかわからなかった。
魂が走りたがっているのは、それはとてもよくわかった。

何故だかはわからないけど、そう自分が望んでるような気もしてたから...かな。

いつからか自分の心の声に耳を済ますようになってからか、
直感というものが更に磨かれていったと思う。
(割と元々そういう精神性はあったとは思う)

だからより魂が走りたがっているのがよくわかった。

でも、肝心の本人はどこに向かい出して行けば良いのかわからない。
ずっと暗闇状態だった。

いやいや、そうは言うても何か秘策とかあったんでしょ?

とか言うでしょうか?

いや、マジで何もないんです。
保証されたような事は何にも...

だから迷ったり、不安だったり、見えない明日に怯えたりもするわけで、
何もない中で決めて、何もない中を突っ走ってきて、

今だからそう思えるけど、当初は止まってるようにか思えなくて、そんな止まりっぱなしの自分にイライラと漠然とした不安めいた恐怖しかなかった。
すごく辛かった。

というか「怖かった」という方が正しいと思う。

 

しかし私は行きたい(生きたい)道が決まった。

それは少し前にもみんなに見せたようにあのノートに書いてある通りだ。
多分あれに習って生きていくことになるんだと思う。

どこまで出来るかわからないけど、やるしかない。

 

私、みんなに出会えて良かったよ。

私、本当に自分が臆病者だったって思う。

自分の思い描く夢に全然必死じゃなかったなって思う。

いや、必死ではあったんだけど、
あの日語った夢に嘘はないんだけど、
でもそれに向かう努力をしていたかはわからない。

まったくしてなかったとは思わないけど、
でもようやくそれで良かったんだと思える日がやってきた。

それが私はとても嬉しい(*´艸`*)

 

 

 

人間の成長はわかりづらい。

ゲームと違ってレベルとか出てこないし、
あとどのくらいの経験値があればレベルがアップすのかなんてわかりもしない。

仮に上がったとしてもトゥルルルトゥットゥットゥ〜♪とかそんな音楽も流れない。
(ドラクエの効果音を言いたいんだが文字にするのはどうも難しい笑)

ゲームと違ってHPとかMPとか増えないし、見れないし、
「かぢゅまるは〇〇を覚えた」とかって手にしたスキルも教えてくれない。

せいぜい、この世の中の誰かが決めた肩書きとか、
どこぞの誰かが儲けてるだけの資格とかそんなんばっかでしょ笑
(まぁ、それも大事だと思うけど、迫はね、大事だと思うよ)

 

でもさ、ようやく...3年くらいか。
(いや、厳密に言うともっと長かったけど...)

苦しかったけど、辛かったけど、ようやく今までの自分が振り返ることが出来るようになった時、それが今なんだけど、ようやくたくさんのものを得ていたんだなと思う。

人もそう。
特にこのブログ始めて始めたTwitterなんかで出来た友達たちには本当に救われた。

本当に寂しい時いっぱいあったんだ。

答えがないし、誰に聞いても欲しい返答は返ってこないし、
聞けばアドバイスどころか否定みたいなことばっかされるし、
答えがあることを聞いても何故かダメ出しとかばっかされるし、
いい加減人にも聞きたくなくなるし、会いたくもなくなったくらい。
傷付きもしたし、自分ですら答えがわからないのに周りに「どうすんの?」と言われる始末。

絶対、いつか私と同じようなヤツがいたら、絶対私そんなようなこと言わない!!

「絶対見つかるからね」って「絶対見つかるから自分を信じてね」って言う。

今見つからなくてもいいし、見つからなくても焦るかも知れないし、でも焦るのでも良いし、なんでも肯定してやる。

否定して来たヤツらを否定してやる!!笑

だから、もし何か今の自分に何かが見つからなくても、仮に見つからない自分に自信をなくして傷付いて立ち直れなくなって、それでも良いからって、とにかくどんな自分でも自分を信じて待ってみてよって言う。

全力でそいつを押してやりたいって思う。(〝推して〟かな?笑)

それすらも学びで、それすらも自分にとって、自分たちにとっては必要な事で、あるべき事なんだと思った。

 

 

 

私、みんなにあの夢を見せる少し前に、少し自分で気付いた事があったの。

それはね、

今の自分と理想の自分に物凄くギャップがあること...

でもそれは、ネガティブなことばかりでもなくて、どちらかと言うとハッとさせられたような、そんな気分だった。

どちらかと言えば、お金持ち(住みたい家に住めている)とかになるのも大事だけど、それよりももっと精神的なこと...かな?

私は、どんな状態であっても、出来ればどんなに貧乏であっても、出来ればどんだけ自分が傷付いていよう状態であっても、それでも心は豊かでありたいってそう望んでいる。

そしたら「今の自分はどうだ?」って何故か急に自問自答したら...

当然、答えは〝NO〟だった。

悔しいけど認めざるを得ない。
だって自分が自分に〝YES〟と言えないのだから、それは誰が何と言ってくれようとも〝NO〟以外に代わりはないのだ。

なんでその時、そんなことを思ったかはわからない。

日頃から心理学とかも勉強するし、してるし、最近は特に自分と向き合う必要があった為、ますます拍車がかかったように書物も読み漁った。

それに得意のリーディングとかもやっぱり心の声を聴く力だったり、直感力やらはかなり鍛えられると思うから、もしかしたらそんな類のことが何か功を奏したのかも知れないとも思う。

それが例え来月の家賃を払うお金がなくなってしまったとしても、
先行き不安でお先真っ暗な人生だと思えても、一寸の先の闇を飛び越えるくらいの勇気は持ててたり、そこにどんな小さな僅かな希望であっても、そんなのを見つけられるくらいの余裕は持ってたかった。

例えばそれがどのくらいスゴいことなのか、
はたまた全然スゴくない、普通のことなのか、
私にとっては前者のように感じてるけど、
私はそれになりたかった。
し、多分なるんだと思う。
そう言ってるから。

なんでそう思うのかはわからない。

でもこれはもうずっと前から決まっているようなことで、割と早いうちからこれを言っている。

何故かはわからないけど、たった今思うのは、浮かんだのは...

 

私、きっと自分のことを好きになりたいんだと思う、もっと

 

自分の良いところを自分が1番よく知ってると思う。

自分以上に自分の良いところを知ってくれてる人が周りにいてくれたならそりゃそれでハッピー♪だとは思うけど笑、

でもやっぱり、自分の良いところは自分がよく知ってると思う。

それは誰に決められたわけでもなく、自分で決めた自分の良いところだから。

だけど、

だけど私は、いつからかそれらを出し惜しみしてるのも知ってる、いつからか。

わかってる。

いや、いつからかというのは正確にはわかってない。

だけど、もういつのことかだなんて覚えてもないし、思い出そうともしたくないけど(と言いながら、今一生懸命それらのことと向き合ってる途中だけど)でもそのいつかの傷が怖がってるんでしょ。

 

「またああなったらどうしよう...」って。

 

世の中にはたくさんの傷がある。

誰かや、人に、恋人に、裏切られてついた傷や

仲間や、信頼していると、信頼し合えていると思ってた友達から受けた傷

親から受けた傷

自らを罰して自分で受けた傷...

 

私はこの何年も、少なくともホステスを辞める辺りの頃、
もしくはコロナ禍が始まってすぐ、自分もコロナになったのもあって、しかもそれが割と重度だったのもあって〝考える〟という時間が圧倒的に増えたことにより、自分と、自分の人生というものに向き合う機会が多くなった

これを読んでくれてる人たちの中にもそんな人は少なくはないだろう。

そして、私は心のどこかで、ずっとそれを待ち望んでいたと思う。

だからコロナ禍になった時、正直「よっしゃ」と思った自分がいた。
(あんまり大きな声では言っちゃいけない事かも知れないけど...)

そのくらいずっと、自分と向き合うような時間がずっとなかった。

でも私は、心の中でずっと自分の人生を変えたかった。

ずっと望むような人生は歩んでこれてなかったから。

だから必死に〝いつか〟を期待したし、その〝いつか〟を心待ちにしていた。

でもどうやらそのような事を望み続けるにも限界はあるのだ。

いつからか、思い描いた理想の笑顔になんては程遠く、毎日毎日、笑顔どころか曇った表情で「あぁ、今日も言葉にならない不安を抱えて生きるのか...(ハッキリ言って当時はこれすらも言葉にならなくて何とも言えない恐怖感に追われてただけと思う)」と、
「今日も起きたくないのに...」と、そうやって毎日を無駄に消費しているように感じていたとも思う。
(消費という例えが出てくるのもやはり頭が、脳みそがゲーム好きだと思う...スタミナ的な笑)

やる気がないわけじゃない。

でもやる気になれる何かがない。

でもどうしていいかもわからない。

でもいつか、頑張ってたら何か報われる日が来んのかな...って、なんとか笑顔になろうと必死な毎日だった...ような気がする。

そしてやって来た、そのようなチャンスが...ようやく。

どれだけ自分が喜ぶことを探したり、自分のご機嫌を取ることに必死だったかわからない。

本当に自分にたくさんのことをした。

でもある意味、私はそのくらい〝自分〟という人間も知らなかったし、知ってたこと、もちろん直感的にでもなんとなく「こんなかなー」とわかっていたとも言える部分はあったにせよ、それでも私はまだまだ自分という人間をよく知らなかった。

それに周りによって創られてきたような自分もいた。

それはあくまでも悪い意味ばかりではないけど、いわゆる周りが期待するような自分...とも言えるだろうか。。。

だからそれに応えなきゃと思うようなのも自分で、でもそればっかりが自分じゃないとはどこか感じていても、そんなことをやってしまう人も実は多いのではないだろうかとも思ってしまう...ってか多いだろう。

期待される周りから見たような自分と理想の自分。
そして本来の自分でせめぎ合いが始まる。

今思えば、リアル版〝精神と時の部屋〟という風にも思える。

近年で言えばコロナ禍が始まってきた頃の辺りだけど、これはもうずっと、ずーーーっと長い事続いていた事だったとも思える。

ホステスももうとっくに飽き飽きしていた。

まず飲めもしないお酒をそもそも飲みたくもない。

楽しくもない人と飲まなきゃいけないシステム。

バカなヤツがバカだとわからず気付かず、偉そうに踏ん反り返ってるのをキャーだのわぁーだの言う日常。

裸の王様だらけの街並み。

そして女も皮一枚引っぺがしたらただの人。

別に何もスゴくない。

と言うと語弊はあるし、良いところも良くないところも挙げたらキリがないほどにまだまだ出てくるけど、まぁ意識の低い人や思考のレベルが低い人、魂のレベルが低い人はたくさんいる。

誰がそんなとこに〝自分〟という自分の大事な大事な身を置きたいだろうか?

否ぁっ!!

それでも、割とそれなりでも、格式の高いお店には働いてきたけど、働かせてもらってきたけど、でもやっぱり素敵な職業じゃないと思う、私はね。

もちろんね、良かったこともあるよ。

だから、もちろん全部を全否定するわけじゃないけど、でもハッキリ言って世の中の誰もがお金に困らない生活を送れているならホステスなんて職業はきっと誰もがやらないと思う。

それは断言していい!!

誰がクソジジーに頭を下げて、生きていたいか?

誰がクソジジーに偉そうな顔をされたいか?

誰がこんなクソ共からこんな可愛い自分をこき使ってお金を得たいか?

と、思う。

私は...だけどね笑

まぁ、もっと言うと、ホステスに限らず、誰もやりたくない仕事はやりたくないんだよって話。

やりたい人だけやってりゃいいんだよ、仕事なんて。

って、最近ますます本当にそう思う。
(元々そう思う傾向、節はあったけど笑)

中には仕事がないと生きられない人もいるから。

仕事をしていない私を否定しないと生きていけない人も世の中にはいるから。

だからそういう人は仕事をしてれば良いと思う。

ただ、そういう人とは、私は考え方が合わないし、私にとってはそれが幸せそうにも見えないし、憧れもしない。

だからって私も私の考えを押し付けないから、どうかあなた様の考えや意見も私に押し付けないでちょって感じ。
(これが出来ない人多いよね、大人でも意外と...ってか大人が!かな...歳だけ取った妖怪オトナコドモ笑)

問題は、やりたくない事をやらなくちゃいけないと虐げられてる人たちがいるんだということ、世の中には、それも多分、たくさん。

まっ、いいや笑

そんなホステスという仕事を辞めたら、私は、この延々と繋がる暗闇から抜けれるんだろうと思ってた。

少しは霧がかった靄も晴れるのだろうと期待していた。

だって嫌だと思って長年してたホステスを辞めれたんだから、雨は止むに決まってるって思うでしょ?

なのに止まなかった。

それどころかそこからあと2〜3年、降り続いた笑

ホステスを辞めてからは特に、限られたお金で過ごし、道なき道を「今進んでるのか?」「それとも戻ってるのか」、
ちゃんと生きたいように生きれているのか、死んでいるのかすらもわからなくなってきて、
ある意味何もないというところで生活をするということは(物とかの話じゃないよ笑)、なかなか自分を追い込むということに至っては好都合なスペースで、本当に大変で極めて困難なことと向き合っていたこの数年間だったと思う。

もう数えるのも嫌だ笑

本当に精神と時の部屋だった。
(面白いのは現実は真っ白ではなく真っ黒だったってことだ笑)

よくそれなりの知り合いに会えば「最近何をしてるの?」と度々に聞かれた。
聞かれれば「何もしてない」と答えることしか出来ないから人に会うのも嫌になっていった。

というか、そもそも、そんな無駄話のように感じる表面的な会話もそもそもまったく求めてないと言っても正しい。

私がしたいのはいつだって心が震える、心が通えるやり取りだ。

だから、そんなやり取り、もはや他人中も他人とのそんなやり取りは決して欲してない。

気心知れた仲間とするバカ話とはワケが違う。

 

でも、かと言って、、、

 

他人なんてどうでもいいやとも思いつつ、でもそこまで冷たくもなれない自分がいるのも現実。

やっぱりそんな知り合い程度の人でもぼやぼや愚痴られたり、残念そうな顔をしてようなもんなら、何か力になりたいとか思っちゃうし、みんな心から豊かになれればいいのにとか、みんながみんな人に優しく出来る世の中になればいいのにとか、
(要は自分の助けなんて、介入なんてなくたって幸せにやってくれたら良いのにって、そんなようなことを言いたいんだと思うんだけど...)

そんな謎の矛盾をした願望を抱えながら、でも「人間が嫌い」だと何度もほざいた。

 

「ブロガーなんて無理でしょ」と、仮に応援されなかったにしても、小馬鹿にされるのも否定されるのも鼻で笑われるのもウザくて、もうしんどくて、でもそれを覆す程の知識も情報量も、ましてや実績すら功績やらもなくて、でも悔しいけど言い返せないからただの愚痴とか文句になっていじけるしかなくて、

でもそれだけならまだしも、そんなウザったい奴らに「見てろよ」とか「絶対見返してやんだから」とは思ってはいても、当の本人が道に迷ってしまってもはやお先真っ暗状態。

ブログがどうとか、成功するとかしないとかよりももっと大事なことをしてたと〝今では〟なら自負出来るけどが、当時はそういうのが本当にキツかった。

いつか呪い殺してやろうと思うよ笑

いや、マジで笑

 

 

 

私はもっと自由に書きたがった。

あったことや、思ったことをもっと自由に、そのまま書きたかった。

傷ついた気持ちとか、

その時の対処法とか、

自分なりでも絶対世の中の役に立てると思った。
(だって絶対自分と同じような想いをしてる人は絶対少なからずともいるからね。)

でもそれを書くには実際に傷付けられた相手を悪く書かなくてはいけない...ようなこともある。

まぁ、実際私にとっては悪い...と言うか、まぁ〝良くない〟という出来事ではあったんだけど、また難しいのは私は別にその人を攻撃したいワケでもないとか微妙に〝いい人〟枠が出てきちゃうんだよね、面倒くせぇーけど笑

...というか、特段誰かを悲しませたいワケでもないから。

攻撃したいならとっくにしてる、本人に向かって。

それも割と勇気がいる事ではあるけれど、その手のことにおいては割と百戦錬磨だろう...
良くも悪くも人とぶつかってきた場数は相当あると思う笑

でも、そう出来ないような相手だから困るのだ。

そうしたくない、そうはなりたくないような相手だから困るのだ。

それは誰よりもとはちょっと言い過ぎにしても、自分がその人のことをどれだけ大事にしてきたか、そのことを自分がよく知っているから。

だから例えちょっとした〝イラッ〟や疑問に感じたことでも、争うよりも持ち帰ってくることを選んでたと思う。

だけど、自分のことも蔑ろにしてはいけない。

でも今までの私はそれを〝我慢〟という方法でしかやり過ごすことが出来なかった。

決してそれが間違っていた方法ではなかったとは思うけど、でも当の自分自身の思いや自分自身は?

...まったく大切に出来てなかった泣

あった想いをなかったようにして、
なかったように振る舞って、
でもそれはなかったことになんてなりはしないから、
いつしか会うのも億劫になっていって、
いつかはもう会いたくないなと思うくらいに嫌いにもなりそうで、
で、またそんな自分を否定して、本当に疲れた笑

私にとってはそれを記事にすることが捌け口だった...いや?そういう対象であってほしかった。

それはまるで自分を救うように、
行き場のない悲しみやストレスをそれで対処したり埋めたかったんだと今思った...
(というか今言語化出来た!!笑)

書いてる途中、改めて気付かされることもあり、私にとってブログは良いものだと思う。

でもあまりにも誰かの事を気にして、思ったように思ったことを書けなくなったのも本当。

だから実は他で新しくブログを始めていて笑、
しばらくはそっちでブログというか記事は書いてはいたんだけど、今度はアドセンス、(Googleがやってる広告ね)そっちが通らなくなってね、

なんか始まりの第1歩?みたいなものだと最初は思っていたから(多分、今もそうなんだろうけど、正直今はそんなのもどうでもいいやになってしまっている笑)、
その1歩も踏み出せないような自分じゃダメなんじゃないかってどんどん自信なくなって、
それでも何度か挑戦してみてたんだけど、でもまた落ちて、また落ちてって、終いにゃ、このような仕事を生業とされてる方にダメ出しまで食らってね。

なんかもう立ち直れなかった。

もうその頃には、仕事らしい仕事、何もしてない事にも、そんな自分にも抵抗感なくなってて、「もうこのまま死んでったらいいや〜」「その方がいっそ楽だや〜♪ラクダラクダ♪」なんて言い聞かせながら、「このまま死んでいけたらいいのに」って「起きたら人生が終わってたら良いのに」って何度も思いながら、そうやって1日中横たわってた日もあった。

多分、普通の人には苦し過ぎて出来ない事だとも思うから、ある意味、私ってなんかスゴいかもとか思うようにもなったし、もし実際今そのような人がいたら、それも1つの才能でマジスゴい事だからって言う^^

誰もが出来ることでないし、ましてやそうならざるを得ないくらい自分は本当には疲れてるんだって、自分の事を認めてあげてほしい...と思う。

そして何もかもを許してあげてほしいと思う。

元々のブログ、この〝かぢゅまるぷれいす〟ではほぼ1発合格?だったと思うんだけどね、「なんでこっちの方がダメやねん!!」(別でやってた新しい方のブログね)みたいになってまた嫌になって、もう完璧にお先真っ暗どころか生きる権利もないんじゃないかと思ってきた頃だった。

もう何したら良いのか本当に完璧にわからなかった。

でも今思えばだけど、仮に相手が傷ついてもいいから、思ったことを思ったようにも書けば良かったとも思える。

それは、傷つけた方は多分わからないから、多分。

多分ね...笑

それは、もしわかるなら、わかっているのなら、多分私もそんな想いはしなくて済んだんじゃないかな?って思うから。

なんなら気付かせてあげた方がいいんじゃないか?とまではあるけど、そういう人に言っても一時的にでも揉めたりすることももう嫌でねー(´Д` )ネー

というか、もうそんな余力は心には残ってなかった。

逃げるのに必死だった。

そういう欲しくないいざこざや、悲しみからはもう一線を引きたかった。

そんなだったら、もう今は心の中でソッとさよならを告げる方がよっぽど楽でいいやとも思った、ちょっと〝らしくない〟けどね。

昔の私なら馬鹿正直に「ねぇねぇ、こういうところが嫌だったんだけど」とか相手に直接言ってたと思う。

もうちょい言い方はあるにしても要はそんなような風だったと思う。

戦国クソ真面目武将って感じだよ、もう笑

でも多分、正論とまでいかなくとも、相手も納得いくとまでとはいかなくとも、相手が退くしかないような状況に追い込んでしまった事もあったと思う。

それに討ち勝つ?みたいなコミュニケーション手段も相手にはなかったのだろうけど...

別に勝ち負けをしてるつもりじゃないんだけど、嫌な思いさせられてるのに、それをわざわざ伝えてやってんのに←笑、反論されるとそりゃこっちも「えいっ」ってなるよね。
だって後発なのこっちじゃん?先にやったのそっちじゃん?って笑

でもその瞬間は、一瞬でもスカッとはしたかも知れないけど、でも多分、仮に友達がその場で謝ってくれたとしても、でも多分私はその友達の姿を思い返しながら、帰り道「本当に私がしたことはこれで良かったんだろうか...」とか多分悩むんだと思う。

そんでもってちょっと凹む。

切り付けるか切腹するしか能がなかったのかも知れない|•ω•。)"…笑

だから、時にはそうやって逃げるというか〝退く〟ということも必要なのかもなーと思えるようになったのは...ようやく最近のこと。

でも...基本的には向き合える人同士と私は付き合っていきたい^^

でも仮にそのような人でも、時にタイミングが悪ければ、時に魂のレベルは低くなったり、いつでも同じようにはいられない時もある。もちろんそれは私もそう。

だからその時はそいつが自分自身で登って来なきゃ、這い上がって来なきゃならない。。

だってわざわざ下のレベルに合わせることはしたくないから。

一緒に引っ張られて自分の魂レベルを下げる必要も、合わせる必要もないから。

ただ自分を幸せにすることだけを考えてれば良い。

そしてそれをするのにも、自分自身がそうする必要があることも、ようやく随分と長い時間を掛けて学んだ。

それにきっといつかはそういうヤツも、きっといつかは自分で気付き、自分で這い上がってくるだろうって思うから、だから信じて、敢えて手を差し伸べないことにしてる。

ちょっと偉そうかもだけど、でも本当にそうなんだ。

何かのせいにしたり、何かのせいにしなきゃいけなかったり、基本的に人の粗探し?みたいな事ばかりしてる人は、その人というか、その人のその時点での魂のレベルはとても低い時と言っていいと思う。

だからそんな時に、こちらの意見、どんなに正論を言っていたとしても通じやしないのだ。

聞く耳なんて持てないのだ、そんな余裕もない。

だから私は〝さよなら〟を選ぶ、心の中でそっと。

そしてそれは、同時に私への次のステージへ行く合図でもある。

だから「出会ってくれてありがとう」「さよならー!!」ってするの。

ホステス辞めたってのもあって〝いい人〟ってか〝出来るまこっちゃん〟みたいのも脱げて清清した( ̄^ ̄)笑

いつまでも「どこぞのジジーが偉そうにしてられっと思ってんじゃねーぞ?コラッ( º言º)!?」と言わんばかりに笑

こっちも化けの皮を剥いだので笑、それはそれはもう愉快で軽快で♪

まぁ敢えて邪険にもしないけど、無礼な人にはそれなりに私も無礼な返しをしといた笑

だって、何様かと思ってんのかな?って思うから笑

まぁよくもその年になるまで誰にも注意されなかったんですね?って、
誰も注意してくれるようなあなた様じゃなかったんですね?っ
てか、そもそも人が周りにいないんでしょうね、
そりゃそうでしょうね、そんなあなた様ですからねー

と、そんな感じでさっさとお別れバイバイ
、一昨日来やがれバカヤローってな感じで、っぽい♪

(ちなみに根本的に人を〝物〟のようにだなんて思ってないよ笑、でもこういうヤツはゴ...うん、ゴミって扱いでもいいやって思ってる笑)

今まであまりブロックとかそういったことやったことなかったから、最初は勇気がいたけどね。

あぁ、いくら向き合っても、話し合っても(というか話し合おうとしても)、分かり合えないヤツっているんだなって思った。

まぁでもこの世には、
もう人間を何周もしてきたような人と、

そうではなくともまともに、もしくは少しでもは分かり合える人と、
わかり合えなかったとしても無害な人間と、
また全然そうじゃなくて先程のゴ...のような害悪に、
イボガエルのように何言ってるのかもよくわからない、会話の通じない人もいるワケで、、、

まぁ、ニンゲンの形をした何かってヤツですかね|•ω•。)"…

少し残念?で、少し残酷で、少し冷たくも感じるかも知れないけど、でもそういう人から自分を守れるのは自分しかいないから。

だから、そういった意味でも長い間かけて、本当に人生の整理をしてきたこの数年だったと思うのです。

まだしてる途中だとは言えますし、それはこの先もまた何度も繰り返すのでしょうけど、でもそれでも随分と身軽に、そしてシンプルに、物事の取捨選択出来たるようになれたかなと少しは思うのです。

そうなりたかったとはちょっと別にしても、
でも、ちょっとそんな自分を、改めて「よく頑張ったね」って褒めてあげたいって思います^^

自分しかいないんで、褒めてくれる人、許してね笑

 

 

まぁ、そんなわけでようやく?

自分らしさというか、そんな風に自分を取り戻しつつあるのが最近なのですが、これも先程も申し上げましたが、ようやくこうなってやっと振り返られる自分がいて、そしてこのように思うわけなのです。

だから、その瞬間瞬間は、なんかずっと自分が逃げ回ってるみたいにも感じて、どこかいつも後ろめたいような気分にもなって、でも誰に責められるワケでもない、どちらかと言えば自分を責めてるのはずっと自分だったと思うけど、きっと必要な時が来たらまたきっと走り出すからって何度も自分に言い聞かせて...

 

 

 

でもね、

 

 

 

本当にそれで良かったんですよね、本当に。

 

ちゃんとなるようになれたし、今の自分は少し前の自分よりずっと良いと思う。

欲しいものが欲しいと言えて、嫌なことも嫌だと言えて、楽しいことは楽しいと言えて(それは前からだな笑)

そして好きなものは好き、嬉しいものは嬉しい、嬉しくないものは嬉しくない、ムカつくヤツは死ね←

シンプル♪ヽ(´▽`)/

難しく考え込んでしまうのは私の良くない癖かも知れないけど、だけど、それも、たくさんの経験の中でいろんなことが考えられたり、起こり得てきたという不安や心配から自分を守りたくて、遠去けたくて、だからそういう自分がいるってのもわかった。

でも今、私はその自分が好きだし、その自分で良いと思った。

それだけたくさん傷ついてきたんだ。
だから人に対して優しく出来ると自負出来るし、私は、自分で言うけど、やっぱりかなり優しいと思う。なんだかんだ他人に対しても。

だから多分、人からも傷付けられやすかった。

でもそれは、仕方のないことなんだなーっとも思った。

長所が短所になったり、短所が長所になったりとか、そんなような事と一緒で、
物事には必ず意味があり(基本的に無意味なことなんてない...と小学生の頃の読書感想に書いた私ですが何か?笑)そしてその側面には良いこともあれば悪いこと(悪いとまではいかなくともまぁマイナスな面的な要素?)があるのが付き物なのです...と誰かが言っていました。

陰陽...とも言うかも知れませんね。

私はそうのようだと思っています。

何もいつも良い面と良くない面が共存しているわけでもなく、一対というわけでもなく、

例えば静かな人には割とにぎやかな(と思われるような)人がお似合いだったり、
片方が天真爛漫だったら、片方はただの堅物だったり(うちの父ちゃんと母ちゃんが割とそんなです笑)

このブログではあまり触れてこなかったけど、今は笑って話してられるけど、家族についても書きたいことそりゃいっぱいあったんだ。

どう考えても我が家、普通の家じゃなかったから笑

でも、書きたかったんだけど、書くとどうしても家族を否定しなきゃいけなかったり、それでも私にとっては大事な家族だから、みんなにどう思われるのかも怖くてね、だから書きづらくて、やっぱり書けなかった、最後まで。

どう思うかなんてわかんないのにね。

でも出来れば〝共有〟みたいなことがしたかったんだ...と思んだけど、でも、この、私の言ってる事をわかってくれない、理解出来ないような人も世の中にはたくさんいて、どっちかって言うと、私はそういう人に否定されるのが怖かったんだと今思う。

頭ん中空っぽ悟空みたいな「話せば分かり合える」みたいな信念を持っちゃってるから笑、本当に難しかったんだ、ここまで来るの。

だから本当に諦めが悪くてねー、自分でも嫌になるくらい笑

でももう、私のことを否定したり、わかってくれなかったり、もはやわかってくれようともしてくれない人は、私にとっては必要ないんだって、その事を知れただけでも十分この何年かには価値があった。

その人たちとは、そういった人たちとは、住む世界が違うから、さっき言ったカエルとまではいかなくとも、わざわざそんなところに自分の大事な労力やパワーやエネルギーを使う必要もない。

だからどんどん無視、もしくはし...コラッ♪笑

 

 

私が自分の力を使いたい場所は別にある。

私はこれからそれをやっていく。

まずは1人で、、、

でもきっと、いつかそれは大きな力になってると思う。

そうなると決まってると思うように、今指が進んでいる。

本当にやりたい事が見つかるまでこれでいいんだって、何千、何百万回思ったかわからない。

私、初めてやった事ない事にチャレンジしてたんだからって、ようやく今、自分のこと褒めてあげられるような気持ちが出来たよ。

〝やりたくない事をやらない〟ってけっこうなかなかな勇気が要んだよ、実は。

あんまりわかってもらえないかも知れないけど...思ってるよりずっと不安で孤独。

理解者もいなくてけっこう辛かった。
というか理解は出来ていても、じゃぁそれを出来るかどうかともまた別だしね、、、

割と身近であった人にも、会う度「どうすんのよ、これからー?」とか聞かれるのもけっこう辛くてねー。

だってそんなのわかってたら、とっくに自分がやってるだろって思うから笑

だから、先に話したヤツ同様「何してんの?」とか聞かれるの本当嫌だったし、仮にも割と近しい(親しい?)人だったのに、道中だったから結論それとは違ったかもだけど、でもその時のいざやりたいことが見つかった話などをしても否定されたし、なんかだったら言わなきゃ良かったなーとかって思ったりもした。

こっちの苦しんでる気持ちなんて知りもせずにね、人はみな、簡単に言いたいことを言われた方の気持ちも考えず、偉そうに言いたいように言ってくれるよね、実際は大した心配もしてないくせにね。

っつか、自分は送りたい人生送れてんのかよ、おいって感じだったよ。

説教する前にまず自分に問うてみぃーよ?って。

正直親にさえもそう思ったよ。

「大丈夫なの?」とかって今でもたまに聞かれるけど、聞いてくれるだけ有難いのかもだけど、でも、いざ、じゃ「大丈夫じゃねーよ!泣」ったら助けてくれんの?って。

助けてくれなかったから、助けてこなかったから、だから私が今もこうして徒歩5分のところに実家を抱え、そこで生まれ育ったにも関わらず、こうして今もずっと外で賃貸借りてんじゃねぇかよって思う、普通に。

もう今まで何年も、いや20年近くも、計何千万払ったかもわかんねーよ( º言º)!?

計算したくないけど、小さい戸建なら余裕で一軒建てれたと思うわ!!怒

助けてくれんならとっくに助けて欲しかったよ。
でも、そんなような家じゃなかったじゃん(マジで)
それどころじゃなかったでしょ母ちゃんって、なんか謎のぼやき入りまーす笑

まぁ、家の話のことは置いといて...
(というかこんなの本気で話したらスゲー量になるからこれはまた次の?いつかのブログでやろうと思うよ^^♪)

人から見たら仕事もしないで良いよなーとか、楽で良いよなーとか思ってた人もいたかも知れない。

っていうかいた笑

口にはしなくてもそう思ってるだろうなって感じれる人は何人もいた。

人の気も知らずも好き勝手に「何かはしろー」とかお節介を言うヤツもいた。

段々わかってもらいたいとも思わなくなったし、元々思ってたかもわからないけど、でも人は割と適当に物事を簡単に言葉にし吐き捨てられるんだなとも思った。

だからそういう人の言葉は軽い。
ずしんと来ない。
表現も曖昧でいつも薄っぺらい。

自分の言ったことなのに次の日には覚えちゃない。

カス♪

そういう人をたくさん見て来たし、これからもたくさん見るだろう。

というか、それだけ生活出来る蓄えがあったということがどういうことかなのを、まずそこをもっと考えなさいよ、そのない頭でって感じだった。

あっ、無理か、だってそう考える頭がないんだもんねっ...と笑

ヒトの形をした何かだった♪危ない危ない♪

それはさておき、、、

もうやりたくない」ってなるまでゲームにも逃げて、でもわかってた。

いつも心のどこかに「このままではいけない」って自分で自分に言ってた。

でも実際、ゲームにはすぅ〜げぇ〜助けられてて、さすれば当然その時に一緒にやってた友達たち(複数人の友達に〝たち〟っている?笑)にもすぅ〜っげぇ〜助けられてるわけで、その時も思ってたけど、今になっても改めてしみじみ思う。

本当に有り難かった。

本当に救われてた。

「本当にありがとう。」と「1人じゃなくて良かったよ、ずっと。」って本当に思う。
(さっき孤独とは言ったけど、それとは別で)

ゲーム好きで良かったって、周りがどんなに普通に高校行ってても、アークザラッド2やりまくってて寝坊ばっかしてた自分も最高じゃねぇーかと思えた。

その頃の友達にはなんか必要以上に怒られたけど、でもやめないで良かったよ、ゲーム(*´艸`*)

あとアニメも好きで良かったし、おかげさま好きなアニメも増えたし、そしてそれはまた良い出会いだったし、

ゲームも前よりも遊び方がしっかり?になって、それはそれでまた大変だったけど笑、その分、嫌なこととも向き合わなくていい時間が増えて本当とっても助かった。

仕事もしてなきゃ、部屋からも出たくない、まぁそうすると、起きてから寝るまでがずっと考えられる時間だからね。

通常、人間は1日に6万回くらい思考するんだよ、確か。

でもってそれは制御とか出来る問題ではないからさ、そのうちの5万回くらいは「これからどうしよう」「もうダメだ」「どうしたらいんだろう」「死にたい」とか考えてるの、普通に辛いよね。

普通なら自殺してるかも知れないよね。
これは別にこのコロナ禍で自殺したりした人をとやかく言うアレじゃない。

し、

私は人の死についてとやかく言うつもりはあまりない。

ここであんま触れなくてもいいとも思ったが、ついでだし、最後だし、ちょっと触れておこうと思うけど、私は誰かが死んだ時(親族とか身近な人でなく、特に接点とかもない芸能人とかにかな?)、まぁどちらかと言うと自殺してしまった時に「もったいない」とか、その人の行為を否定するような人にはあまり共感も賛同も出来ない...ってかしない。

その人にしかわからない苦しみや思いがあると思う。

ちょっと変かも知れないけど、それの集大成で、それのその人の表現方法が唯一、自殺という意志にになったんだ...という事だと思う。

コロナ禍だったらからのなか、そもそもそういう運命だったのか、そんなのはわかんないけど、それくらい追い込まれるような体験をした人、してる人が世の中にはいっぱいいたし、いるんだってことだと思う。

だから、自分でもよく思うんだけど、割とこれで普通の(普通ではなかったかも知れないけど)精神状況保ててたのスゴいなーって今なら自分に対してかなり思う、さっきもちょっと言ったかも知れないけど。

でも正直、自殺という形をとった人も、オレはそれはそれでスゴいと思ってるよ。
だって、そんなのはオレには出来ない選択だから、多分。

どんなに何千回、何万回「死にたい」と思ったことはあっても、実際に死のうとしたことは多分1回もないと思う。

要はみんなスゴいってことなんだよ。
(あれ?さっきまでの話が一掃されてしまったかな...笑)

まっ、ついでの話だから、聞き流してよ。

 

 

 

たった今は、もう、みんなに伝えたい事とかは多分そんなにないと思う。

というか、そもそもそんなのがあったのかもわからないんだけど、たった今、何故ブログを書き始めたかと言うと、

「進まなきゃ」と思ったから。

だからそうしてそう思った途端にパソコンに手を伸ばして、だからその思いを思いついたままに書いてみた。

よくあるブログ講座みたいに、今まで勉強してたブロガーの動画にあるように、〝伝えたい事を明確に〟とか〝起承転結を大事に〟とかもうそういったのもどうでもいい。

特に、今はどうでもいい。

そもそもあんまりそういった形式にこだわりたくないのが私で、こだわらないのが私の良さだったりもしたんだ。

怖いとか、不安だとか言いながらも、結局型にハマれないのも私。

そう言えばいつだってハグれてきた笑

別に一匹狼でいたいわけでもない、というかそんなのは嫌だけど、
でも割と昔から〝独自のスタイル〟をお持ちではあった(*´艸`*)笑

浮いてるとか、ぶっ飛んでるとか、変わってるとか、ある意味褒め言葉のようにも思ってたけど、どうかお好きなのを選んでください笑

もうそれさえもどうでもいい。

全てが必要なことだったんだと、ようやく今思えるから。

だからよくわからないけど、そんな世間一般や常識人の常識は知らないし、私には当てはまめないし、そんなの自分に強要しない。

世の中にたくさんブログはあるけど、そんな事を気にしてない人だってたくさんいる。

私が好きになるようなブログの人(多分〝ブロガー〟という職業が正式な職業ではない)も、そんなの気にしてないと思った...今。笑、

でも、、、

 

 

私はその人が好きだーーーーー!!

 

 

 

その人の書くブログが大好きだーーー!!

 

 

 

そしてその人たちが書くブログに幾度となく救われてる^^

 

その人たちだってそれでやっていけてるし、それでやっていけてる。

そしていつだってどこでだって非常識な人は否定されるし、でも飛び立つのはいつもその非常識な方だと思う。

そしてそれがまたいつしかそれが常識になって、また非常識な人がやっかみを買う。

だけど、いつだってやっぱり羽ばたいていく人は非常識な人だ。

と、私は思う。

だから私は気にしない。

自分の正解は自分で探す。

だから私も自分の書きたいことを書くし、これからは自分の夢を叶えるべく活動に入っていこうと思う。

もうそれでアドセンスが通らないとかもうどうでもいい、もうそれならそれで仕方ない。

でもそれでも私はそこに何かが待っていると思っている。

根拠はないけど、崩れる時はあるかも知れないけど、それでも信じてる。

 

今こうしてまた私がこのブログに戻ってきたのは、そしてお別れの挨拶をしにきたのは、単純に、これからもみんなの力を貸してほしいと思ったからだ。

私にはたくさんの仲間がいる。

 

 

 

...いや、嘘っす笑

 

限られた少数精鋭のお仲間さんがいるって感じで、あとはほんわか楽しい友達が数名って感じで、決して仲間は多くなかったかも知れない笑

でもそれでいいんだ。

多分、そんなに多くも欲してないし。

信頼出来る、頼りになる仲間がほんの数人だけでもいてくれたら、私は天にも昇れるような気分になれる。

だって世の中にはたっくさんの孤独な人が待ってるから。
(ん?待ってるってなんだ?でも今なんとなくそう思った。)

だからさ、私、みんなに力を借りなきゃいけないと思うんだ。

1人じゃ無理なんだよ。

私にはみんなの力が必要なんだ。

だからどうか力を貸して欲しい。

 

 

 

とか言いつつ...何をしてー!!というのは特段ない笑

 

先日、みんなに見てもらったノートの落書き。
(ゲーム垢の固ツイにした♪)

みんなにしか見せてないから、みんなが証人で、でもって私がまた疲れた時は癒されに、ゆっくりとする為に帰る場所なんだと思うんだよ。

でもっていつかまたご縁がある人とはきっとどこかで会うでしょう、Twitterじゃなくても。

そういうもんだ笑

たった今、このかぢゅまるに縁がなくても、次の段階(ステージ)でもし私の何かがあなた様を必要とするのなら、またあなた様の何かが私を必要とするのならば、その時はきっとそれをお互いに引き寄せ合うでしょう

そう、だから私がここでお別れを告げるのは、自分の魂、またはあなた様の魂も次の段階へ行きますよ...ということなのだと思うのですよ。

というかそうなのです笑

大好きな宇宙的な話をすると、本当にそうなんです。

 

ということで、最後の締め括りに入りたいと思いまぁーす♪

 

 

 

短い間でしたが?ありがとうございました(アッサリ笑)

 

消すのに、このブログを終わらせる事に、躊躇った事、何度もありました。
(あっ、まだ消すわけじゃないよ笑)

人の為に書いた記事もあったり、やっぱり消したら悪いなぁって思ったり、どの記事も〝私の分身〟のようなモンだから、それはまるで自分の何かを失ってしまうような痛み?のようなものを患ったり...

でも、いつでも物事が始まるその前には何かが終わる

そしてそれが始まりの合図だったりもします。

何故かわからないけど近頃のリーディングでは〝DEATH(死神)〟が出まくってる私です笑(タロットカードの話です、はい♪)

タロットカードの中でも〝DEATH〟とか〝TOWER〟(塔)とかってけっこう煙たがられる?カードであって、怖がられたりもするんですけど、
私も、最初の頃はもろに「げっっっ!?マジかよ!?泣」と思ってた頃もあったんですけど、でも最近はなんだか、ようやく?自然に?「あっ、何かが始まるのね( *¯ ꒳¯*)」と、割と本当に「ホッ」と一息つけた頃...

わかりやすく言うと、恋愛でのお別れだったり、お仕事での任務が終えた後とか、ずっと続いていた嫌がらせから解放された時とか、嫌だなと思っていたご縁がようやく切れたとか「ようやく何かが終わった...」とか、なんかそういう感じの時の「ホッ」の時に出やすいんですよね^^

だから、それはある意味次の始まりの合図をしてるお知らせでもあるのです...と、私は思うのです。

なんか本当に最近めっちゃDEATH引くんですよね笑

好きなリーダーさんの動画、ラジオみたく流してる時あるんですけど、これでもか!?っつうくらい。

 

DEATH!

 

 

DEATH!!

 

 

DEAAAAATH!!

 

 

これは私の大好きなFFの絵を描いている天野さんが描いたタロットカードです(*´艸`*)♡

 

 

だから、ここで終わらせてみようと思う。

 

ということで、YoutubeやTwitterとかインスタ、SNS関連の方向性も決めました。

えっとですね、全体的にはとっておきます。

でも稼働はしない...って感じになるかと思います。

2つあるTwitterのどちらも、たまには帰る故郷なので、鍵垢にしてそっとしておこうと思います(というか、この記事を配信した頃にはそうしてます、はい^^)

もうこのブログを通しても、ゲーム垢を通しても、築きたかった人間関係は十分に築けたと思うからです。

そして得たい学び死ぬほどありました笑

もう十分です^^

今度は次のステージへ行きたいと思っています。

そしてそこで修行を積みます笑

まぁ、今までのは至って消す必要性も感じられないし、今までやってきたことはやってきたこととして残しておけばいいかなって思ったし、それはそれでって感じで、せっかく登録してくれた人とか、嬉しいコメントとかくれた人もいるんで、思い出は思い出として♪

無理に消す必要はないかなぁ〜って感じたのでそういう感じにします^^

 

あと、なんかあったっけ?

あ、ニコニコ...は、全然ログインもしてない

けど、まぁ上に同じって感じで|•ω•。)"…

あとね、最初はニコ生でって言ってたと思うんだけど、多分圧倒的にYoutubeの方がやりやすいんだなと思ったりもしていて、当時の私は「Youtuberって呼ばれるのなんかヤダなぁ〜」とそのくらいの理由でしかニコ生やりたい!!と言ってる理由はなかったので、今後、もしかして何かやるならYoutubeだと思います。
(登録してくれた人ごめんね|•ω•。)"…)

でもやるかはわかんない^^
インスタとかも割とやれとか時折言われるけど、やっぱり私、そもそもSNSがあんまり好きじゃないと思う。

なんでかわかんないけど、あと多分、私が仲良くなりそうな人もあんまインスタとかやってないんじゃないかと思う(偏見かもだけどそうと思うw)

あと個人的に、なんかインスタは「うさんくさっ」て感じてしまって、なんか全然好きになれない。
(別に好きな人は好きで否定もしないけど、私は好きじゃないなって程のことです)

 

 

 

そんなわけで!!

 

 

 

きっとまた、いつかどこかでお会いしましょう^^

 

短いような、長いような間でしたが、ずっと応援してくださった方、ありがとうございました。

 

次の記事はまだかと楽しみにしてくださったり、コメントくださった方、本当にありがとうございました。
実はめちゃめちゃ嬉しかったです。

 

いつもどんな時もおいらのブログを読んでくれた友達たち(たち?)本当にサンキューヾ(・∀︎・。)ノ

 

おまいらの1個1個の♡いいねが本当に励みになったよ、ありがとう^^

 

なんかよくわかんないけど、とにかくGoogleアドセンスなんか気にせず、広告がどうだとか売上なんだとか一切気にせずに、とにかく1度、やりたいことをやりたいようにやってみようと思います。

 

ちなみに新しい方のブログでは、某Amazonさんに← 規約違反だとかって言われて既にAmazonアソシエイト1回失ったりもしました笑(遅延しまくった時のメールの画像載せただけなのに...厳しいぜ|•ω•。)"…)

 

でもいいんだ♪

 

誰の為でなく、自分の為に書きたいように書く。

それが今の私に出来ることで、したいことだ。

 

悪口もいっぱい書く笑

まぁでもさ、悪口もさっ?

「なぜあなたはそのようなことを言ってるのですか?」と自分に問いかけるとさ、いろんな答えが返ってくるのよね(ただ悪口言いたい時ももちろんあるんだけどね?笑)

だから私はそうやって自分の心も整理したいんだと思う。

心と対話したいんだと思う。

ノートとかに書いて吐き出すのも、整理するのも、何かを見つけるようにするのもいいんだけど、何故か私はそれを大っぴらに表現したいんだと思っているの。

ペンを持って実際に〝書く〟ことも、ペンそのものも好きなんだけど、でもこんなの毎回書いてたら手がもたない笑

どちらかと言うと〝書く〟時は、夢とか楽しいことを書きたくて、こうやってブログに〝書く〟時は、そういったこともだけど、なんかこうもっとリアルなことを書きたいんだ。

自分の心もね、これだけ情報が溢れていて、生きたいように生きれる事の方が難しい世の中で自分を見失わないことの方がよっぽど難しい...ってボクは思ってる。

生きたいように生きれる時代にはなってきたかも知れない。

それは確かに以前とは比べて生きやすいような時代にはなっているのかも知れないけど、
(まっ、いつの〝以前〟を言ってるのかも若干謎ではあるけど)

でもそれは全員が全員、みんなが同じ土俵からスタートした場合の話であるでしょ?って私は思ってる。

だから私は、この世の全員が全員、平等ではないと思っているし、実際そうだと思う。

生まれながらにして手や足がない子、目が見えない子、耳が聴こえない子

生まれながらにして寿命が決まっているような不治の病を抱えていた子

生まれながらに親がいなかった子

親がいたとしても別れてくれた方がマシと思えるような家庭で育った人

お金持ちの家に生まれ不自由少なく生きてきた人もいれば、
死んだ方がマシだと思えるような人生を送ってる人もいる。

でもだからと言って前者のような人にまったくの、何の悩みもないかと言うとそんなこともない。

だけど生まれながらにして貧乏で天涯孤独でとかって人よりは、間違いなく良い思いもしてるだろうし、仮に10代だとしたら心の豊かさや平穏さといったものもそりゃ随分と違うと思う。

それが良いとか悪いってことじゃなくてね。
(こんなことをいちいち補足して言わなきゃ傷付いちゃう人がいることって自体、変な世の中だと思うんだよね。何この2択しかない人生。誰がこんなん植え付けたんだよって思う( ̄^ ̄))

だから私は伏黒くんが言った「不平等な現実のみが平等に与えられている」というセリフが何だかすごい好きだ...と言うと語弊があるが、とてもよく自分に刺さるセリフである。

 

©️芥見下々/集英社

 

みんながみんな豊かになれれば、もっと心から平穏無事に生きれたらどんなにいい事かと思う。

そりゃオレの街の酔っ払いどもも少しは大人しくなるだろうよと思ったりもする、本当に邪魔なんだ(´Д` )

だから私はそういった意味でも、自分の好きなことを好きなように書きたい。
(結構意味わかんないまとめ方してるかもしんないけど。)

誰の事も気にせず、誰の事も気にせず...自由に、心の叫びを。

お金も大事だけど、とりあえず今はもうそんなもんどうでも良いよ。

なかったら死ねばいいし、なくなったら死ぬだけだ笑

そん時は誰か見つけてあげて!!
それだけ頼む♪
でもって適当に撒いといてよ、出来れば海が見えるところに^^(ワガママ?笑)

お金の為に働くはもう散々してきた。

もう生きる為に死ぬのはうんざりだ。

私がしたいのはリアルな生き方。

よくわかんないけどそんな風な言葉が今は浮かんだ。

とか言いつつ、やっぱりちょっとは怖いけど、でももうそんな事も言ってられん、もうやるしかないんだ、進むしか。

 

 

 

まっ、そんなわけでこの調子でこのまま書いていくと、いくらでも書けてしまうような気がするので、どこかで終わりにしなきゃいけないなぁと感じているワケなのですが、その締めくくり?っていうのが私、苦手なんですね多分...笑
(コレもどこかいつかのブログで書けたらいいな、今明確なその理由がわかった気がするんだ!!笑)

だってそれって寂しいから。

サヨナラってやっぱり寂しいじゃん。

別れあれば出会いありとか、
死は再生の始まりとか、

そういう言葉も信じてるし、そうだなって思うけど、やっぱりそれでも悲しいもんは悲しい。

そしてそれもそれでいい、そのままで。

でもやっぱ〝けじめ〟ってのは大事だし、やっぱりサヨナラだな、寂しいけど、あぁ...もう行かなきゃ^^

 

このブログ、更新のお知らせが来てからずっとどうするか悩んでたんだ。

前回の時もうーんって感じではあったんだけど。

でもこの終わりの合図をしてから1年、あともう1年だけ取っておく。

それで終わりにする。

でも、記事を書くのはコレで終わり。

コレが最後^^

 

だから、もし会える人はまたきっと、またいつか、どこぞのブログとやらでお会いしましょう笑

きっと、私のファンならわかるはず♪
文を読んでいても、きっと私が話してるように、私の声が聴こえてくるでしょう♪

 

 

 

ほぼまるまる1年、ログインもしなかったような私のブログにお越しくださった方々、本当にありがとうございました。

どういうワケでここへ辿り着いてしまったのかはわかりませんが、袖振り合うも多生の縁、きっとあなた様と私奴(わたくしめ)には何かしらのご縁があったのだと思います。

それとブログを立ち上げてから毎日のように見てくださった方々、今日まで本当に最後までありがとうございました。

 

どうか元気で^^

そしてどうかますます楽しい人生を送ってください!!

ボクの足にはそれが刻まれています。

〝Do what you love〟は好きなこと、
それも〝大好きなことをしてください〟という意味です。

それは鳥籠の中で生きているような気がした私が、大人になってから、自分に向けて足に掘ったメッセージでした。

そして当然、ボクの大切な仲間や友達たちにもそのような想いを持っています。

かろうじて家族...にも...だな笑

今、改めてみんなにもその言葉を贈りたいって、そう思います^^

 

 

 

もうすぐクリスマスですよ(*´艸`*)

私はクリスマスが大好きです。
1人でいても、誰かといても。
みんなにも楽しいクリスマスが降ってくることを祈っています☆彡

 

 

 

ではでは宴もたけなわ、
ここで出会った全ての人たちに愛を込めて。

 

〝ありがとう〟と〝さよなら〟と〝出来ればきっとまたどこかで^^〟のメッセージを置いて...

 

ばいばい♪

 

[chat face="kajyumaru.jpg" name="かぢゅまる" align="left" border="blue" bg="none" style="maru"]長らくありがとうございました[/chat]

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